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誰もがやさしく微笑みあえる、その日まで

東日本大震災で被災された方々、心を痛めた方々に送ります。

青森旅行(その2) 〜奥入瀬渓流〜


 今回は、「青森旅行(その2) 〜奥入瀬渓流〜」です。

 私は、今年のゴールデンウィークに、青森を旅行しました。
 青森に行きたいと思った理由は、なんとなく「東北の中でも青森は異質である」ように感じていたからです。
 その「異質感」の元を見つけたくて、青森市、弘前市、五所川原市、十和田市付近を旅行しました。


「十和田湖の子ノ口から流れ出る奥入瀬渓流は、奔流となって苔むした岩をあらい、あるときは瀬を速み、また、あるときは淵に淀み、途中多くの滝を左右の絶壁から迎え入れながら、やがて広い河原をおだやかに流れ十和田湖温泉郷(焼山)に至る。深い自然林に覆われた約14kmの奥入瀬渓流には、千変万化の水の流れが生む躍動感あふれる景観が展開する。」
 十和田市観光協会のホームページより
 http://www.towada-kankou.jp/sightseeing/oirase.htm



 十和田湖温泉郷(焼山)についたのは、午後3時。
 天気もいいし、自転車を借りてサイクリングしようと思い、奥入瀬渓流館で自転車をレンタル。
 http://www.oirase.or.jp/keiryu/keiryu.htm  

 子ノ口まで片道14km、往復28km。
 返却時間は午後4時半。
 自転車だし、写真を撮りながらでも間に合うかな、と思ったのが甘かった。 


 行きは、十和田湖に向けて緩やかに登っていく。
 写真を撮る時間は無し。
 子ノ口に到着したのは、午後3時45分。
 残り45分。
 十和田湖畔で小休止して、すぐに焼山に向けて出発。

 帰りは、下りが多いため、少し時間に余裕あり。
 風景を見ながら、写真を撮りながら、戻る。

 緑の若葉のトンネルを、風になって走る。
 道路沿いに歩道があり、そのすぐそばを奥入瀬渓流が流れる。
 流れを追い越して走る。


 いくつもの滝の脇を過ぎていく。


 急な流れと、緩やかな流れを織り交ぜながら、渓流は続く。
 ゆったりとした時の流れを感じる風景にも出会う。  


 ガサゴソ、ガサゴソ、道路脇から音がする。
 振り向けば、ニホンカモシカがいる。
 そこにいるのが当たり前なように。


 

 返却時間を10分ほどオーバーして、奥入瀬渓流館に到着。
 急いで自転車を返却する。
 店員さんは、にこやかに受け取ってくれた。
 新緑の中のサイクリングを楽しめたのは、奥入瀬渓流館さんのおかげ。
 感謝、感謝。 

 かなり本気で自転車をこいだので、クールダウンがてら、奥入瀬渓流館の周りを歩く。
 近くに「出会い橋」という橋がある。
 奥入瀬渓流とは全く雰囲気が異なる、川幅が広い川。
 川の水は、勢いよく流れていく。


 私が一番好きな色は緑色。
 それも、鮮やかな若葉色。
 青空を背景に、若葉の生命力が透けて見える。



 奥入瀬渓流は、色んな姿を見せてくれました。
 ほんの数時間滞在しただけですが、魅力を感じることができました。
 違う季節に行けば、また異なる姿を見せてくれることでしょう。
 多くの人に愛される理由が少し分かった気がしました。



 以上、「青森旅行(その2) 〜奥入瀬渓流〜」でした。





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青森旅行(その1) 〜岩木山〜


 今回は、「青森旅行(その1) 〜岩木山〜」です。

 私は、今年のゴールデンウィークに、青森を旅行しました。
 青森に行きたいと思った理由は、なんとなく「東北の中でも青森は異質である」ように感じていたからです。
 その「異質感」の元を見つけたくて、青森市、弘前市、五所川原市、十和田市付近を旅行しました。

 今回は、岩木山についてです。
 岩木山は津軽富士と呼ばれています。
 裾野が広く、遠く離れたところからでも見える山です。



 岩木山の北に位置する、つがる市から見た岩木山。
 遮るものがなく、調和が取れた姿。
 毎日の生活のすぐそばにある存在。



 岩木山の東に位置する、黒石市から見た岩木山。
 山頂に荒々しさ有り。
 冬には、北東北特有の強い西風と寒気にさらされる。



 岩木山の東に位置する、弘前市から見た岩木山。
 弘前城のお堀と一緒に撮ると、その姿は柔らかさを帯びる。
 街の中の背景として周囲に溶け込む。



 岩木山は津軽平野のいたる所から見ることができる存在。
 津軽の人々と共に時間を過ごしてきた存在。 
 人々の心の一部を埋めている存在。
 空気や水のように、あって当たり前だけど、とても大事な存在。
 
 次回以降も、青森を形作るものについて書きます。
 
 

 以上、「青森旅行(その1) 〜岩木山〜」でした。





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ZERO to ONE(NHK出版)を読んで


 今回は、「ZERO to ONE(NHK出版)を読んで」です。

 最近、NHK出版から出版されている「ZERO to ONE」という本を読みました。
 面白かったので紹介します。
 著者は、ピーター・ティールさんです。
 ペイパルという企業の創業者で、現在は、ベンチャー企業の投資家です。 
 スタンフォード大学の学生向けに行った「起業論」の講義を基に書かれた本です。


◆本の内容
 以下は、NHK出版のウェブサイトからの引用です。
 https://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=C5010101&webCode=00816582014
「新しい何かを作るより、在るものをコピーする方が簡単だ。
おなじみのやり方を繰り返せば、見慣れたものが増える、つまり1がnになる。
だけど、僕たちが新しい何かを生み出すたびに、ゼロは1になる。
人間は天から与えられた分厚いカタログの中から、何を作るかを選ぶわけではない。
むしろ、僕たちは新たなテクノロジーを生み出すことで、世界の姿を描き直す。
それは幼稚園で学ぶような当たり前のことなのに、過去の成果をコピーするばかりの世の中で、すっかり忘れられている。
本書は、新しい何かを創造する企業をどう立ち上げるかについて書かれた本だ。」


◆抜粋(特に気になった文章)
・p44
 →完全競争下では長期的に利益を出す企業は存在しない。
・p55
 →クリエイティブな独占企業は、まったく新しい潤沢な領域を生み出すことで、消費者により多くの選択肢を与えている。
 →より良い社会を作る強力な原動力になっている。
・p57
 →独占はすべての成功企業の条件なのだ。
・p131
 →隠れた真実は、重要だけど知られていない何か、難しいけど実行されていない何か。
・p140
 →隠れた真実は飽くなき探求を続けるものの前にだけ姿を現す。
・p141
 →偉大な企業は、目の前にあるのに誰も気づかない世の中の真実を土台に築かれる。
・p253
 →今僕たちにできるのは、新しいものを生み出す一度限りの方法を見つけ、ただこれまでと違う未来ではなく、より良い未来を創ること、つまりゼロから1を生み出すことだ。その為の第一歩は、自分の頭で考えることだ。古代人が初めて世界を見た時のような新鮮さと違和感を持って、あらためて世界を見ることで、僕たちは世界を創り直し、未来にそれを残すことができる。


◆感想
 この本を読んで、「隠れた真実」という言葉が一番心に残りました。
 「隠れた真実」を発見し、その真実を基に事業を行う。
 そこに、事業の価値が存在する。
 この本では、ビジネスの話のみ書かれていましたが、社会的事業も含む全ての事業に通じる話だと感じました。
 そして、一番最後のメッセージ「今僕たちにできるのは、新しいものを生み出す一度限りの方法を見つけ、ただこれまでと違う未来ではなく、より良い未来を創ること、つまりゼロから1を生み出すことだ」が、ティールさんの応援メッセージのように感じました。
 ティールさん自身、より良い未来を創りたいと思っているからこそ、全世界の人々に向けてこの本を書かれたと思います。
 この本は、何度でも読み直す価値がある本だと感じました。 


◆補足
 ・ほぼ日刊イトイ新聞に、ティールさんの講演、ティールさんと糸井さんの対談が載っています。面白かったです。ご参考まで。
  http://www.1101.com/peter_thiel/index.html
   




 以上、「ZERO to ONE(NHK出版)を読んで」でした。





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ここ最近で一番嬉しい話


 今回は、「ここ最近で一番嬉しい話」です。

 ここ最近で一番うれしい話、それは、私の友人が事業を開始したことです。

 先週土曜日にオープニングセレモニーを見に行きました。
 晴れの場には、多くの方々がいらっしゃいました。
 虎舞もお祝いに駆けつけました。
 
 「何か手伝えることがあったらやろうかな」という気持ちで行ったら、イベント開始の昼から、イベント打ち上げの夜までお邪魔してしまいました。
 スタッフの皆様とは初対面でしたが、丁寧な心配りをされる方ばかりでした。
 素晴らしいスタッフと一緒に仕事できる友人を、うらやましく思いました。

 私の友人は、高齢化が進む地域の問題に取り組もうとしています。
 東日本大震災による被害にも負けず、しっかりとしたビジョンを持ち、着実に問題をクリアして、多くの方々の協力を得て、事業開始にたどり着きました。
 これから、いろんな課題、問題が押し寄せてくると思います。
 それでも、彼なら仲間を引っ張って、着実に事業を伸ばしていくでしょう。
 彼ならやってくれる、周囲にそう思わせる信頼感を持っています。
 私は、これからも、彼を応援し続けます。



 以上、「ここ最近で一番嬉しい話」でした。





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宮沢賢治の話(その6)


 今回は、「宮沢賢治の話(その6)」です。

 宮沢賢治は、岩手県花巻市出身の童話作家です。
 詳細は、下記のリンクをご覧ください。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E8%B3%A2%E6%B2%BB

 最近、岩手について考える機会が多くあります。
 岩手を良く知りたい、と思うようになりました。
 知人の一人は、「宮沢賢治は岩手の宝だ」と言いました。
 今までじっくり読んだことが無かった、宮沢賢治の文章。
 いくつか代表作を読んだので、紹介します。

 今回は、その6回目です。
 こうありたい生き方の話です。


◆虔十公園林
・あらすじ 
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%94%E5%8D%81%E5%85%AC%E5%9C%92%E6%9E%97
 虔十(けんじゅう)は、おかしくもないのに笑ってばかりいて知恵が足りないと、周囲から馬鹿にされている少年である。
 雪の残る早春に、虔十は家の裏手に杉苗を700本を植えることを思いつく。木は5年まで普通に育ったものの、成長がとまり8年経っても9尺(約2.5m)に留まった。百姓の冗談を真に受けた虔十は下枝を刈って、盆栽のような林になってしまう。そこは子供たちの恰好の遊び場になり、虔十はそれを見て満足する。
 それから20年間の間に街は急速に発展し、昔の面影はどこにもなくなってしまう。ある日この村を出てアメリカの教授になって帰って来た博士が小学校の校長たちと虔十の林に足を向け、この林だけがそのまま残っているのを発見して、子供心に馬鹿にしていた虔十のことを思い出す。そしてこの背の低い虔十の林のおかげで遊び場が提供されていたことや、今の自分があることを悟り、林の重要性に初めて気づく。

・本文からの抜粋
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/4410_26676.html
 すると愕ろいたことは学校帰りの子供らが五十人も集って一列になって歩調をそろへてその杉の木の間を行進してゐるのでした。
 全く杉の列はどこを通っても並木道のやうでした。それに青い服を着たやうな杉の木の方も列を組んであるいてゐるやうに見えるのですから子供らのよろこび加減と云ったらとてもありません、みんな顔をまっ赤にしてもずのやうに叫んで杉の列の間を歩いてゐるのでした。
 その杉の列には、東京街道ロシヤ街道それから西洋街道といふやうにずんずん名前がついて行きました。
 虔十もよろこんで杉のこっちにかくれながら口を大きくあいてはあはあ笑ひました。

・感想
 虔十の、何者にも染まっていない子供のような感覚が新鮮でした。
 先入観無しで周りを見る。
 あるがままを感じる。
 こうあったらいいだろうな、ということを思う。
 こうと決めたら、周りに左右されずやりきる。
 形にする。
 それが、結果として周囲の人のためになる。
 自分のビジョンを持ち、自分の感覚を信じて、やり切ること。
 その大切さを感じました。



◆グスコーブドリの伝記
・あらすじ
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%89%E3%83%AA%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%A8%98
 グスコーブドリ(ブドリ)はイーハトーブの森に暮らす樵(きこり)の息子として生まれた。冷害による飢饉で両親を失い、妹と生き別れ、火山噴火の影響による職場の閉鎖などといった苦難を経験するが、農業に携わったのち、クーボー大博士に出会い学問の道に入る。イーハトーブ火山局の技師となり、噴火被害の軽減や人工降雨を利用した施肥などを実現させる。前後して、無事成長し牧場に嫁いでいた妹との再会も果たすのであった。
 ところが、ブドリが27歳のとき、イーハトーブはまたしても深刻な冷害に見舞われる。火山を人工的に爆発させることで大量の炭酸ガスを放出させ、その温室効果によってイーハトーブを暖められないか、ブドリは飢饉を回避する方法を提案する。しかし、その実行に際して誰か一人は噴火から逃げることができなかった。犠牲を覚悟したブドリは、最後の一人として火山に残った。ブドリが火山を爆発させると、冷害は食い止められ、イーハトーブは救われたのだった。


・本文からの抜粋
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1924_14254.html
 ブドリは帰って来て、ペンネン技師に相談しました。技師はうなずきました。
「それはいい。けれども僕がやろう。僕はことしもう六十三なのだ。ここで死ぬなら全く本望というものだ。」
「先生、けれどもこの仕事はまだあんまり不確かです。一ぺんうまく爆発してもまもなくガスが雨にとられてしまうかもしれませんし、また何もかも思ったとおりいかないかもしれません。先生が今度おいでになってしまっては、あとなんともくふうがつかなくなると存じます。」
 老技師はだまって首をたれてしまいました。
 それから三日の後、火山局の船が、カルボナード島へ急いで行きました。そこへいくつものやぐらは建ち、電線は連結されました。
 すっかりしたくができると、ブドリはみんなを船で帰してしまって、じぶんは一人島に残りました。
 そしてその次の日、イーハトーヴの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、日や月が銅(あかがね)いろになったのを見ました。
 けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖かくなってきて、その秋はほぼ普通の作柄になりました。そしてちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪で楽しく暮らすことができたのでした。

・感想
 私が宮沢賢治の物語を読んだ中で、この話が一番心に残りました。
 岩手(イーハトーブ)の現状認識、他者への思いやり、科学への信頼、暮らしやすい社会を作る決意、科学を利用した社会作り。
 賢治の信念が凝縮されているように感じました。
 また、賢治の生き方が、主人公であるブドリに投影されているように感じました。
 農民の暮らしの厳しさ、やませを思わせる冷害、飢饉がもたらす悲劇(両親や妹との別れ)。
 自分の辛い経験から他者を思いやること。
 今を一生懸命生きること。
 科学を通して世界が暮らしやすくなっていく理想。
 火山爆発の制御、飛行船、二酸化炭素濃度による気候制御、潮汐発電所、雨を利用した窒素肥料散布。
 こんなことが実現したらいいだろうな、というSFのような世界。
 理想のためなら、何でもやる強い決意。
 そして、「たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪で楽しく暮らすことができたのでした。」という最後の言葉。
 賢治の想いがこもった、賢治ワールド全開の物語でした。
 何度でも読みたくなる物語でした。
  




 以上、「宮沢賢治の話(その6)」でした。





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